道は,切り開くもの

2001年5月27日
ふとしたことから,「色弱」「色盲」について議論している掲示板を見て,弱音を言って傷をなめあっていたり,不要な同情に溢れているのを読んでものすごい嫌悪感。

一週間前の日記の内容にも共通すること。
私はといえば,色弱と,左耳難聴。
難聴,というか全く聴こえない。
難聴については3歳の時の病気が原因で,その時に神経細胞から壊れたから左側の三半規管も働かなくなり,平衡感覚も不完全で。医者には「体育の授業でも平均台はやらせないように」と言われていたらしい。
当然色弱は生まれつきだし,つまり幸か不幸か物心ついた時からずっとだから,精神的な傷は負うことはなかったのがやっぱり不幸中の幸い。
自分自身,忘れている時のほうが多いので平均台もやってたしなぁ。(^^;

音楽でもサッカーでも,プロを目指すレベルまで到達できない自分自身について,耳や平衡感覚を言い訳にしようとは思わなかったし。
というよりも,関連性なんて意識していなかった。
親や,中途半端に親しい人に勝手に「不利なんだから」と同情されることのほうが,見下されているとしか思えなくて悔しかったり。
補うだけの自分の能力や,感性を磨く努力が不足していただけ。逆にいえば,別の部分で突出できれば解決できたはず。
まして色弱であることなんて,必要であればあのテストを数日かけて覚えれば済むことは明らか。

どっちにしても,筋力やIQと同じこと。
有利不利の問題だけであって,解決方法はいくらでも見つければいい。

と,強がりはしたものの。
難聴については友人と歩くときに,「ごめん,右側歩いて」と言わなきゃいけないことだけは面倒くさいことも。

けど,それだけ,かな。
出会ってからしばらくは耳のことは言わずに,しばらくたってから伝えることで「あ,そうなんだ。気付かなかった」と軽く考えてもらえば偏見に悩むこともない,というやり方も子供の頃に既に習得。
とはいえ,伝える機会はなかなか難しい。
変に真面目になってしまうのも不本意だし。
今の職場でもまだ機会を逸していて(^^;

何が幸いするのか。
可能な限り自分から自然に相手を右側に置くように行動するようになっていると,自然と相手の次の行動を読むことは無意識のうちにするようになっていたり。
こういう部分も今の自分の人間性を築いている,と思うと感謝しなければ。

あ。
もう一つ残念なことがあった。
ステレオの良さが全く理解できないのと,ウォークマンで聴いていると左側のパートが全く聴こえなくなってしまうことは,音楽好きとしては悔しいか。


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一番感謝し,尊敬する人の御両親から手紙を拝受。
「伺いたいことがあるので電話してください」という文面にしばし硬直(^^;
何か失礼でもあったのかな,と心配しつつ電話したところ,
「最近来てくれたのですか?花があったので」
との確認のみ。家族としては気になったらしい。
御両親と話したのは6年ぶり。
見覚えのある封筒,そして記念切手を使うあたり,やっぱり家族だなぁ。


今酒を飲んだら,危険だなぁ。
でも,飲みたい。飲みまくりたい。

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