愚かな行政とマスコミと大衆と
2002年7月8日本日の日経新聞朝刊一面トップ,
「不良債権の最終処理凍結」
中小企業へのマル保融資の回収機構への売却に対し,
信用保証協会が難色を示したことにより,
不良債権の最終処理が凍結となっている,と。
今更,何を。
「不良債権批判」
「中小企業への貸し渋り批判」
相反するこの両者を都合よく声高に叫んだ末,
マル保融資枠の拡大により,
銀行に中小企業融資残高の積み増しを迫った筈。
銀行が通常取らないリスクを国が保証することで,
積みあがっていった融資残高。
その焦げ付きは当然のことでしょう。
少し考えれば,
というより何も考えなくても直感的に,
「馬鹿な」
と考えるような政策だったのに。
その政策に批判の声一つあげないマスコミ,
マスコミが批判の声をあげなければ何も気付かず,
自分で気付こうとしない大衆。
面白いですね。
朝日新聞や読売新聞は,
今回どうやって銀行の姿勢を糾弾するのでしょう。
恥ずかしげもなく。
過去の自分たちの責任も省みずに。
長銀行員時代,
この類の経験が続いた末に,
マスコミや,
自分で考えることを放棄した類の人たちの批判を,
心の中で侮蔑するようになりました。
銀行は株式会社であり,
株式会社の責任は株主価値の最大化。
従業員の厚遇による生産性の向上,
顧客本位の市場戦略による売上の拡大やブランド価値育成,
業界や企業によりアプローチは異なりますが,
それらは全て株主価値の最大化に繋がるものでなければ,
正当化されません。
株主価値の向上を経てそのアプローチは認められ,
更なるリスク資金の調達が可能となり,
また株主総会での支持を獲得し,
そのアプローチは更に強固なものに出来るのです。
株式会社の責任がこの国で「常識」となるのは,
いつなのでしょう。
情けない。
付け加えると,
銀行の虚構のブランドにしがみつくだけの行員が,
近い将来人材市場で苦しむことになるのは,
目に見えています。
その意味で彼らもまた,
自分で考えることを放棄した類の存在。
しかし,
彼らが報いを受ける日はすぐそこまで来ています。
マスコミや自分で考えることを放棄した大衆は,
いつ報いを受けるのでしょう。
日本が没落した時,
かもしれませんね。
「不良債権の最終処理凍結」
中小企業へのマル保融資の回収機構への売却に対し,
信用保証協会が難色を示したことにより,
不良債権の最終処理が凍結となっている,と。
今更,何を。
「不良債権批判」
「中小企業への貸し渋り批判」
相反するこの両者を都合よく声高に叫んだ末,
マル保融資枠の拡大により,
銀行に中小企業融資残高の積み増しを迫った筈。
銀行が通常取らないリスクを国が保証することで,
積みあがっていった融資残高。
その焦げ付きは当然のことでしょう。
少し考えれば,
というより何も考えなくても直感的に,
「馬鹿な」
と考えるような政策だったのに。
その政策に批判の声一つあげないマスコミ,
マスコミが批判の声をあげなければ何も気付かず,
自分で気付こうとしない大衆。
面白いですね。
朝日新聞や読売新聞は,
今回どうやって銀行の姿勢を糾弾するのでしょう。
恥ずかしげもなく。
過去の自分たちの責任も省みずに。
長銀行員時代,
この類の経験が続いた末に,
マスコミや,
自分で考えることを放棄した類の人たちの批判を,
心の中で侮蔑するようになりました。
銀行は株式会社であり,
株式会社の責任は株主価値の最大化。
従業員の厚遇による生産性の向上,
顧客本位の市場戦略による売上の拡大やブランド価値育成,
業界や企業によりアプローチは異なりますが,
それらは全て株主価値の最大化に繋がるものでなければ,
正当化されません。
株主価値の向上を経てそのアプローチは認められ,
更なるリスク資金の調達が可能となり,
また株主総会での支持を獲得し,
そのアプローチは更に強固なものに出来るのです。
株式会社の責任がこの国で「常識」となるのは,
いつなのでしょう。
情けない。
付け加えると,
銀行の虚構のブランドにしがみつくだけの行員が,
近い将来人材市場で苦しむことになるのは,
目に見えています。
その意味で彼らもまた,
自分で考えることを放棄した類の存在。
しかし,
彼らが報いを受ける日はすぐそこまで来ています。
マスコミや自分で考えることを放棄した大衆は,
いつ報いを受けるのでしょう。
日本が没落した時,
かもしれませんね。
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